独自の「新里式乾燥法」

 乾物専門店である私たち「池宮城商店」が、今もっとも力を入れ、他店との最大の違いとなっているのが、自社で製造している「こだわりの乾物」です。

私たちは、素材本来の美味しさを引き出すために、200万円の投資を行い、特別な食品乾燥機を導入しました。

 一般的な温風乾燥機は「風」と「熱」によって外側から乾燥させています。しかし、その場合は内側の水分が抜けにくく、温度を上げざるを得なくなります。それが素材の劣化の原因になります。

 一方、私たちが山口県の会社まで現地に行き見た「木原式食品乾燥機」は、「湿度」を利用します。高湿の場合、強引に水分を奪うのではなく内側から水分が出るため、素材の温度を上げすぎずに乾燥でき、色味や香りをキープすることができるのです。この「素材を大事にする乾燥機」に惚れ込み、購入を決めました。

 当初はためらいもあり、失敗した時の不安もありましたが、父親の「仮に失敗しても新車をダメにしたと思えば良い」というアドバイスに背中を押されました。

 実際に始めてみると美味しく乾燥させるのは難しく、数えきれないほどの失敗をしましたが、諦めずに改善を重ねました。

 そうしてメーカーからも公式に認められた独自の乾燥時間・乾燥方法は、私たちの名前をとって「新里式乾燥法」と呼ばれる許可をいただいています。

 この技術があるからこそ、他社には作れない、自信を持って店頭へ並べられる乾燥もずく・乾燥パパイヤ・乾燥トウガラシをお届けできています。

池宮城商店の変遷

  私たちのお店は、戦後に先代のゆきおばーが沖縄県の名護市にある備瀬から那覇市に出稼ぎにきたことが始まりです。 その頃は、沖縄には物がなく、また多くの人が貧しかった時代です。ほとんどツテのない始まりでした。

 那覇市の公設市場付近は多くの人が住んでいて、そこはうちのゆきおばーだけではなく、多くの地方から出稼ぎに来る人でいっぱいでした。沖縄本島だけでなく、宮古島・石垣島・久米島などから集まってきました。

 はじめは「肌着売り」から「卵売り」・「豆腐屋」と、お客さんや世の中の需要によって売るものも変化してきました。 公設市場が出来た当時は周りにスーパーがなく、多くの人はここに買い物に来ました。なので、お客さんが仕事帰りにも来ることが出来るようにと夜遅くまで、多くのお店が開いていたようです。

 その当時は、道や近くの川の整備がされていなかったので、台風や大雨の日は川が溢れ商品が濡れないようにと大変だったそうです。

 また一度、火事のために施設が全焼し仮設市場に移動したことがあったようです。そして、当時の新しい市場で約50年商売をした後、現在はさらに新しい市場になっています。

 僕はこの店を継いで13年目(令和8年現在)になります。お店を12年前に継いでいます。

 僕の経歴を簡単に説明します。大学を卒業後、パームヒルズ (ゴルフ場のレストラン) を3年したあと、学校に勤務しました。沖縄県内の農業高校と特別支援学校の教員を7年しました。その後、今のお店に来ました。

 僕が来る前のお店の商品は、豆腐はもう少ししかなく観光客相手の商品が多くおかれていました。

 島ラッキョウ・海ブドウ・もずく・ゴーヤーの漬物などです。前述したように、この公設市場はスーパーがなかった時代のもので、その後、大型スーパーができて、また地方にもスーパーや食文化が変化するにつれて地元のお客さんも減ってきました。

 一旦、市場全体が低迷しますが、その後、沖縄ブームがあり、今の沖縄の観光資源の一部になっています。

 また、私が入ってはじめた商品もあります。乾物です。お店に入って売り買いをしているうちに乾燥パパイヤが売れている、もっと需要があるのではないかと思ったのが始まりです。

 最初は、他社から仕入れて売っていたのですが、もっとパッケージを良くすればもっと売れるのではと思っていました。

 だが、「知っている」と、「できる」では大きく違いました。自分たちでやってみたら、かなり難しいものでした。袋のサイズを調整したり、袋のパッケージをデザイナーさんに依頼したり、また賞味期限を調べたりと、こんなにやることがあるのかと思いました。

 しかし、その後、創意工夫をして改善を続けてお店に出せるまでになりました。

教員から一転、お店を継ぐ決意をするまで

 今でこそ独自の技術にこだわり、このような想いを持ってお店を営んでいますが、実は私が2013年にお店を引き継ぐ前は、農林高校や特別支援学校の臨時教員(7年)をしていました。

 両親が教員だったことや、自分にとっても教員の仕事が適職だと感じていたことから、
この先も教える仕事を続けていきたいと思い、当時は正社員(教諭)を目指して試験を受けていました。

 最終試験になかなか受からない日々が続いていたそんな時、母方のおばーちゃんの「ゆきおばー」のお店が危ないという話を両親から聞かされます。

 はじめは、両親は教員を続けた方が良いと言っていました。
しかし、1年をかけて定期的に家族で何度も話し合いを重ねました。
 その結果「私がお店を継いだほうが、色々な問題が片付く」ということが分かったため、
池宮城商店を継ぐ覚悟を決めました。

 2013年にお店を継じてからは、一から商売を学ぶべく、琉球料理教室に通ったり、国内外のスーパーを視察したりしました。

 そして、お客様が本当に良い商品、求めている商品を販売するべく活動を続ける中で、食品乾燥機を新しく買い、私たちの代から新しく乾物の製造販売をスタートさせることになったのです。
 コロナウイルスの閑散期にも、その時間を利用して薬膳の知識を高めたりしています。

乾燥もずくが生まれた理由



― 私たちが「もずくを乾燥させる」という選択をしたわけ ―

もずくは、私たち沖縄県人は日常の食卓で食べるごく普通の食材の1つです。。

沖縄で育った私たちにとって、それは当たり前の感覚でした。酢の物にして食べる、さっぱりとして夏に合う食材。どこの家庭にもあり、どこにでもあるもの。

正直に言えば、もずくを「商品として深く考える」ことは、長い間ありませんでした。

生もずく・塩もずく、そして乾燥もずくの違いについても分かっていませんでした。

その考えが変わったのは、日々の商いの中で感じていた小さな違和感と、

ある一言がきっかけでした。

島ラッキョウに支えられてきた商いと、不安

先ほど述べたように、僕が継ぐときは観光客相手の島ラッキョウ・海ぶどう・もずくを中心に扱っていました。

島ラッキョウは、売り上げの7・8割を占める主力商品でした。

しかし、家業に入り数年が経つにつれ、私は次第に危機感を持つようになりました。

島ラッキョウは天候に左右されやすく、不作の年もあります。実際、過去には十分な量を確保できず、大きく売上を落とした年もありました。加えて、年々高騰する仕入れ価格、安定しない供給。

実際、僕が市場に入ってきた時は、

1k 500円〜750円ほど、年末の仕入れが難しい12月でも1k 1,500円ほどでした。

これがどんどん値上がりしていき、一度大きな不作があったとき以降は、1k 1,000円を超えるのが当たり前になっていき、年末には1k 10,000円を超えることが当たり前になってきました。

「もし、この商品が仕入れられなくなったらどうなるのか」

「この商いは、10年後も続いているのだろうか」



島ラッキョウに依存している現状は、決して健全とは言えませんでした。

そして、同じ時期に日経新聞の成功した社長さんの記事「私の履歴書」を読んでいて、ある文章が目に入りました。それは「ある商品が売上の8割あり、危機感を持った」という文章です。これを自分達に当てはめると、まさに「島ラッキョウ」に依存していると感じました。

このことが、頭の中にあり、問題意識を持つようになりました。

また、「おばーちゃんや市場の方達が生み出した商品を、超えるようなものを作り出したい」という気持ちもありました。

小さく始めた「乾物づくり」 

そこで考えたのが、新しい柱となる商品をつくることでした。

大きな投資をする余裕はありません。だからこそ、まずは小さく始める

これは、商売の中で何度も心に留めてきた考え方です。

乾燥パパイヤ、乾燥ゴーヤー。

最初は他社から仕入れた商品を扱いながら、「自分たちで作れないだろうか」と考えるようになりました。実際に食品乾燥機を導入し、試行錯誤を重ねる日々が始まります。

袋のサイズ、見た目、賞味期限、価格設定。

やってみて初めて分かることばかりでした。

簡単そうに見えた乾物づくりは、想像以上に手間がかかり、失敗の連続でした。

それでも、少しずつ「これはいけるかもしれない」という手応えを感じるようになっていきました。

「乾燥もずく、ないの?」 

転機となったのは、思いがけない一言でした。

私たちが商売をしている場所は、観光のお客さんも多く訪れます。

それで私は個人レッスンで、中国語を台湾の方から習っていました。

その中国語の先生から、何気なく聞かれたのです。

「あなたたち、乾燥もずくはないの?」

その先生の知り合いで、台湾に住むご両親が商売をしているようで「沖縄の乾燥もずくを欲しがっている」と言います。

しかし、生のもずくは日持ちしない。持ち運びも難しい。

だからこそ、「乾燥してあれば欲しい」という話でした。

その瞬間、頭の中で点と点がつながった感覚がありました。

「予期せぬお客さん」が教えてくれたこと

(ドラッカーの原理原則は、私たち「小さなお店」にも当てはまりました)

経営学者ドラッカーの言葉に、

「予期せぬお客さんこそが、本当のお客さんである」

という一節があります。

まさにその通りでした。

私たちは「乾燥もずくを作ろう」と思っていたわけではありません。

しかし、現場での何気ない会話の中に、本当のニーズが隠れていました。

沖縄では当たり前すぎて、価値を深く考えなかったもずく。

けれど、視点を変えれば 

  • 日持ちする
  • 軽い
  • 海藻の栄養をそのまま摂れる 

乾燥という形にすることで、もずくはまったく違う可能性を持ち始めます。 

作ってみて分かった「簡単ではなさ」

もちろん、すぐにうまくいったわけではありません。

乾燥の具合ひとつで、香りも食感も変わる。

水で戻したときの状態、使いやすさ、見た目。

「乾いていれば良い」というものではありませんでした。

何度も失敗し、やり直し、少量ずつ改良を重ねました。

それでも、少しずつ「これなら自信を持って出せる」という形が見えてきます。

この過程で大切にしたのは、

自分たちが納得できるかどうか でした。 

乾燥もずくに込めている想い

私たちが乾燥もずくを作る理由は、

「珍しい商品を作りたいから」ではありません。

  • 沖縄の食材を、無理なく日常に取り入れてほしい
  • 観光のお土産で終わらせず、暮らしの中で使ってほしい
  • 海藻の持つ力を、もっと身近に感じてほしい

そんな想いがあります。

コロナ禍を経て、食や健康への意識は大きく変わりました。

身体をつくるのは、日々の積み重ねです。

乾燥もずくは、特別な料理ではなく、

「いつもの食事に少し足せる存在」でありたいと考えています。

これからの私たちと、乾燥もずく

乾燥もずくは、私たちにとって「新しい柱」のひとつです。

島ラッキョウに代わる存在になるかどうかは、正直まだ分かりません。

それでも、準備をし、試し、続けてきたからこそ、今があります。

沖縄の市場で育まれてきた商いの感覚と、これからの時代に必要な形。

その間をつなぐものとして、乾燥もずくを育てていきたいと思っています。

この商品が、誰かの食卓で、

誰かの身体を支える一助になれば、

それ以上に嬉しいことはありません。

球美の水

 球美の塩

薬膳プリン

このサイトに来てくれて、ありがとう!

店主の新里武(シンザトタケシ)と申します。
母方のおばーちゃんから引き継いで13年になります。
このサイトでは僕の代からはじめた乾物を中心に扱っています。

それから、「腸活」についてのメルマガも発信しています。

なぜか?

店主自身、47歳の10月後半ごろ、ひどい便秘に悩まされました。
生まれてはじめて専門病院へ行き、
多くの方が便秘・大腸に悩んでいることに気づいたのがきっかけです。


その頃から「腸活」に関しての本を多く読み、
そして、3ヶ月後には元の状態に戻ることができました。

その経験も踏まえて、メルマガ・ブログでは多くの腸活についてを発信しています。
(メルマガは、このページの下部から登録できて、いつでも解除できます)

また、僕たちの商品である「乾燥もずく」「乾燥パパイヤ」を使ったレシピ動画もあります。

特に「ゆし豆腐」を使ったレシピは、便通が良くなったと感じているものです。

ぜひ、お試し下さい。

そして、僕たちの商品に興味を持ってくれたら幸いです。

About us

沖縄県那覇市にある「第一牧志公設市場」の中に店舗があります。戦後の闇市からはじまった市場。母方のおばーちゃんから、孫である新里武が継いでいます。沖縄に来た際は、ぜひ実店舗にお越し下さい。

池宮城商店について

よくある質問

送料はいくらですか?

全国一律送料無料とさせていただいております。

乾物はどのようなものを扱っているのですか?

現在は乾燥もずく、乾燥パパイヤ、乾燥トウガラシの3点を中心に製造しております。
時期により在庫数が異なりますのでご了承ください。

卸しの相談をしたいです。

ただいま、卸しは休止になっています。ご了承下さい。